永射保 氏(ながいたもつ)
元プロ野球選手[日本]
2017年 6月24日 死去がん享年65歳
永射 保(ながい たもつ、1953年10月3日 - 2017年6月24日)は、鹿児島県川辺郡大浦町(現:南さつま市)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。
元陸上自衛官。
経歴=
プロ入り前=
指宿商高時代は、3年次の1971年に夏の県大会2回戦で鹿屋工高を相手にノーヒットノーランを記録するが、準々決勝で中学時代のチームメイトである定岡智秋のいた鹿児島実高に敗退した。
なお永射も同校から声が掛かっていたが野球で進学することを避けた。
在学中は珠算、簿記などの検定にも合格している。
1971年ドラフト3位で広島東洋カープに入団した。
現役時代=
プロ入り後は外木場義郎の投球を見てレベルの高さを痛感。
1973年5月には初先発の機会も与えられたが、広島では1勝も挙げられなかった。
当時、安田猛が遅いボールで王貞治をキリキリ舞いさせるのを見て、速球派をやめて遅いボールで生きて行こうと決意し、2年目の同年オフに別当薫監督と長谷川良平コーチと相談して腕を下げ、変則フォームに改造した。
1974年に乗替寿好との交換トレードで太平洋クラブライオンズへ移籍し、中継ぎとして起用されたが、当初は結果を出せず苦しみ、山田久志のフォームを研究、踏み込む足をインステップにして、ワンテンポタイミングを遅らせるフォーム改造に4年を掛けて成功した。
きっかけについて「太平洋ライオンズに移籍した頃、理髪店の鏡にテレビの野球中継が映されており、そこに阪急の山田さんが投 ……
永射保さんが亡くなってから、7年と150日が経ちました。(2707日)