曹操(そうそう)
武将、魏王[魏]
(建安25年1月23日没)
(ユリウス暦) 0220年 3月15日 死去享年66歳
曹 操(そう そう、拼音:Cáo Cāo、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日))は、後漢末期の軍人・政治家・詩人で、実質的な魏の創始者。
字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、または吉利。
豫州沛国譙県(現:安徽省亳州市譙城区)の出身。
廟号は太祖、諡号は武皇帝。
生涯=
出生=
曹氏系図
後漢桓帝期の永寿元年(155年)に生まれる。
本籍は沛国譙県(現在の安徽省亳州市)。
その祖先は高祖劉邦に仕えた功臣曹参であると『三国志』「魏書武帝紀」には記されている。
しかし曹参はその功績により平陽侯に封ぜられて、その家は魏晋時代まで存続していた。
であるので少なくとも曹操の家は曹参の嫡流ではないことは確定的で、曹操の祖先はおそらく一介の農民であったと思われる。
曹操の祖父曹騰は安帝(在位106年-125年)の時に宦官として宮廷に入り、30年の長きに渡って政界を渡り歩いてきた政治家である。
順帝の皇太子時代に勉強相手として任用され、順帝即位後には中常侍に抜擢される。
さらに梁冀による桓帝擁立に関わり、その功により費亭侯に封ぜられ、大長秋に昇る。
曹操の父が曹騰の養子である曹嵩である。
『三国志』に注釈を施した裴松之が引く『曹瞞伝』及び郭頒の『魏晋世語』では曹嵩はもともと夏侯氏で曹操の部下の一人夏侯惇の叔父であったとするが、「武帝紀」では曹嵩の出自はよくわからないとしている。
曹嵩もまた官界に入り、司隷校尉 ……