長谷川良平 氏(はせがわりょうへい)
元プロ野球選手、元広島監督[日本]
2006年 7月29日 死去肺炎享年77歳
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。
経歴=
プロ入り=
愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。
1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。
同年1月21日に石本の見守る中でシートバッティングの投手を務めるが、得意のシュートを連投して何人かのベテラン選手のバットをへし折り、入団が決まった。
同日中に入団契約し契約金は30万円、月給は25,000円であった。
1年目は初登板から6連敗ののち、4月27日の西日本戦(甲子園)で初勝利を挙げると、5月14日と同17日の西日本戦(鳴海・後楽園)で立て続けに勝ち、特に17日は初完封を記録したこともあって、「パイレーツ殺し」と呼ばれた。
結局この年、新人ながらいきなりチームトップの15勝(27敗)を挙げる。
移籍騒動=
1951年はチーム全体の勝利数32勝の半数を超える17勝(14敗)を記録し、オールスターゲ ……
長谷川良平さんが亡くなってから、18年と94日が経ちました。(6669日)