芸能人・経営者のおくやみ情報

ウァレンティニアヌス3世Valentinianus III

西ローマ帝国皇帝[西ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0455年 3月16日 死去暗殺享年37歳

フラウィウス・プラキディウス・ウァレンティニアヌス(Flavius Placidius Valentinianus)またはウァレンティニアヌス3世(Valentinianus III, 419年7月2日 - 455年3月16日)は、西ローマ帝国の皇帝(在位:425年 - 455年)。
生涯[編集] 父はコンスタンティウス3世、母はテオドシウス1世の娘ガッラ・プラキディア皇妃。
2人の間の唯一の皇太子としてラヴェンナに生まれる。
しかしながら父が没すると母はホノリウスと決別、姉・ホノリアと共に東ローマ帝国コンスタンティノポリスの皇宮に出奔、甥のテオドシウス2世の元に身を寄せた。
423年にホノリウスが没すると、西ローマ帝国ではヨハンネスが西方正帝に選出された。
これに対して東ローマ帝国のテオドシウス2世は、自身の影響力の及ばないヨハンネスを替えて、自身の従弟で幼いウァレンティニアヌスを西方正帝に据えようと企てた。
テオドシウス2世は424年10月23日にウァレンティニアヌスをコンスタンティノポリスで自身の副帝に昇格させると、ゲルマン人の将軍アスパルに命じて西ローマ帝国を襲撃させ、425年7月までにヨハンネスや西ローマ帝国の高官らを殺害し、同年10月23日に幼いウァレンティニアヌスを西方正帝の座に据えた。
ウァレンティニアヌスが正帝の称号を得たとき彼はわずか6歳であったため、国政は幼少期には母プラキディアの、433年以降は蛮族出身の将軍フラウィウス・アエティウスの手に握られた。
437年にウァレンティニアヌスはテオド ……

推定関連画像

「ウァレンティニアヌス3世」と関連する故人