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大島康徳 氏(おおしまやすのり)

プロ野球選手、監督、解説者[日本]

2021年 6月30日 死去大腸がん享年72歳

大島 康徳(おおしま やすのり、1950年〈昭和25年〉10月16日 - 2021年〈令和3年〉6月30日)は、日本のプロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球監督、野球解説者。
現役時代は中日ドラゴンズ(1969年 - 1987年在籍)で強打者として活躍し、1974年・1982年にはチームのセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝に貢献。
また、1983年には本塁打王のタイトルを獲得、現役生活の終盤となる1988年に日本ハムファイターズへトレードで移籍すると、1990年には通算2000安打を達成。
プロ入り26年目の1994年に44歳で現役を引退し、2000年 - 2002年には日本ハムの監督を務めている。
次男はお笑い芸人の大島雅斗。
経歴= プロ入りまで= 福岡県生まれの大分県中津市育ち。
父は国鉄職員、母、兄、姉の5人家族、高校入学まで野球経験はない。
今津中学時代はテニスやバレーボールをやっており、バレーボールでは大分県選抜チームのレギュラーだった。
また、相撲が強かったため相撲部に助っ人で参加することもあった。
相撲の大会を観戦に来ていた中津工業高校の小林監督が惚れ込み、本人は当初、乗り気でなかったもののスパイクとグローブをプレゼントされたのをきっかけに同校に入学。
野球部ではエース、4番打者として活躍し、同期の春日一平とバッテリーを組んだ。
1967年秋季九州大会大分県大会準決勝に進むが、同年春のセンバツ優勝校で、優勝メンバーにも名を連ねていた大田卓司を擁する津久見高に敗退。< ……

大島康徳さんが亡くなってから、3年と120日が経ちました。(1216日)

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