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会田照夫 氏(あいだてるお)

プロ野球選手[日本]

2021年 2月22日 死去虚血性心不全享年75歳

会田 照夫(あいだ てるお、1947年6月5日 - 2021年2月22日)は、埼玉県春日部市出身のプロ野球選手(投手)。
アンダースロー投手であった。
三男は元プロ野球選手で現在は読売ジャイアンツコーチの会田有志。
来歴= プロ入り前= 小学6年から野球を始め、中学3年の時に遊撃手から投手に転向。
上尾高等学校ではエースとして1964年秋季関東大会に進むが、1回戦で市銚子高に延長10回サヨナラ負け。
翌1965年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、大宮高校に敗退し甲子園出場はならなかった。
高校の1年上に山崎裕之、同期に江田幸一がいる。
卒業後は高校時代の監督である野本喜一郎に引き連れられ、当時は東都大学野球リーグ二部に低迷していた東洋大学に進学。
1年生の秋季リーグでは国士舘大戦でノーヒットノーランを記録し、同季に二部優勝。
入替戦で芝工大を降し、5年ぶりに1967年春季リーグから一部昇格を果たす。
一部でもエースとして奮闘するが初優勝には届かず、1968年春季リーグの3位が最高成績であった。
一部リーグでは東洋大の通算全73試合のうち64試合に登板し、21勝32敗、防御率2.59、272奪三振。
大学同期には外野手の細川昌俊らがいる。
卒業後は三協精機に進み、1970年の都市対抗では電気化学に補強され出場。
1回戦で日本生命に延長12回の熱戦の末に敗れたものの好投を見せた。
同年の産業対抗では全試合に先発、決勝に進み丸善石油の久玉清人、五月女豊( ……

会田照夫さんが亡くなってから、3年と272日が経ちました。(1368日)

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