加藤初 氏(かとうはじめ)
元プロ野球選手、コーチ[日本]
2016年 12月11日 死去直腸がん享年68歳
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。
経歴=
プロ入り前=
吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。
入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。
その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。
社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。
秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
この活躍により、巨人、中日、ヤクルト、南海、東映、西鉄らのスカウトが訪れたが、大昭和製紙には前年の都市対抗優勝投手の安田猛がおり、会社側が「同時に投手2人は出せない」とプロ側へ表明。
1971年のドラフト会議では安田のみが指名され、加藤は指名されなかった。
どうしてもプロへ行きたかった加藤はドラフトの数日後、野球部長や社長に辞表を提出するも不受理となり、喧嘩別れのようにして退社。
直後、西鉄スカウトの浦田直治が加藤を訪ね、ドラフト会議のリストアップ表を見せた。
一番上に加藤が書かれていたが、大昭和製紙の意向で指名を断念し、二重線で名前を消したことを説明した。
後にプレ ……
加藤初さんが亡くなってから、7年と345日が経ちました。(2902日)