野村克也 氏(のむらかつや)
元プロ野球選手、監督[日本]
2020年 2月11日 死去虚血性心不全享年86歳

野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。
プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。
捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。
監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。
京丹後市名誉市民。
後妻にタレントの野村沙知代。
概要=
南海選手時代(1959年1月)
NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。
実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
NPB最多記録として、通算打席数、通算打数、通算犠飛数、通算併殺打数、ベストナイン19回がある。
オールスターゲーム21回出場も歴代最多。
歴代2位の記録は出場試合数(1位は谷繁元信)、通算安打数(1位は張本勲)、通算本塁打数(1位は王貞治)、通算打点数(1位は王貞治)、通算塁打数(1位は王貞治)。
捕手を務めながら通算RCWIN歴代5位を記録した。
野球選手としての現役生活は1954年から1980年の27年間にわたり、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーした。
うち1970年から1977年の8年間は南海で選手兼任 ……
野村克也さんが亡くなってから、5年と49日が経ちました。(1875日)