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西本幸雄 氏(にしもとゆきお)

プロ野球選手、監督[日本]

(阪急・近鉄などを指揮して8度のリーグ優勝)

2011年 11月25日 死去心不全享年92歳

西本幸雄 - ウィキペディアより引用

プロ野球の阪急などで監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄(にしもと・ゆきお)さんが25日午後8時40分、心不全のため兵庫県宝塚市の自宅で死去した。91歳だった。葬儀の日取りなどは未定。 家族によると、3年前から腎臓などを患い、最近は腰の骨折で入院したが、10月3日に退院し自宅療養していた。 和歌山市出身。立教大で一塁を守り主将を務めた。戦後、大分県別府市の星野組に入り、一塁手兼監督として活躍、1949年の都市対抗野球で優勝した。 50年、毎日オリオンズ結成時に入団し、55年に現役引退。60年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たしたが、采配をめぐってオーナーとトラブルになり退任。63〜73年に阪急監督で5回、74〜81年に近鉄監督で2回パを制したが、日本シリーズでは1度も優勝できず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1384勝(1163敗118分け)は歴代6位。 選手の心をつかみ、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人で9連覇を果たした川上哲治監督の「川上管理野球」に対し、「西本にんげん野球」とも評され、多くの選手に慕われた。88年野球殿堂入り。 (2011/11/26-01:23)

西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
現役時代 父親は日本勧業銀行和歌山支店の支店長であり、裕福な家庭に育つ。
1933年に野球の名門校だった旧制和歌山県立和歌山中学校へ進学するが、当時は野球部に入れば「勉学をあきらめる覚悟が必要」だったため入部を諦め、3年時にはラグビー部に所属していた。
しかし、4年生の秋、5年生7人が引退して5人だけになった野球部に入部し、二塁手と一塁手を務め、時にはリリーフ投手としてマウンドにも立った。
1937年夏の甲子園の紀和大会予選決勝では、旧制和歌山県立海草中学校と対戦。
当時3年生の嶋清一の前に敗れて甲子園出場はならなかった。
1938年に旧制立教大学へ進学。
当時の野球部には監督がおらず、後には実質的な監督役を務めている。
文部省の命令でリーグ戦が中止となった1943年5月には、自ら申し入れて旧制明治大学との対外試合をおこなった。

映像作品

プロ野球選手・指導者・解説者。 1920年4月25日生まれ。和歌山県出身。左投左打。 現役時代は一塁手として活躍。時に左投げに珍しく二塁手を務めたこともあった。 監督勇退後は関西テレビの解説者を務めていた。 2011年11月25日、心不全のため兵庫県宝塚市の自宅で死去。 (引用元 Hatena Keyword)