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正力松太郎(しょうりきまつたろう)

読売新聞、日本テレビ 元社長[日本]

1969年 10月9日 死去享年85歳

正力松太郎 - ウィキペディアより引用

正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日)は、日本の実業家、政治家。
読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、讀賣テレビ放送会長、日本武道館会長を歴任した。
読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。
日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。
東京帝国大学法科大学卒で内務省に入省。
1923年12月に虎ノ門事件が発生、当時警視庁警務部長であった正力は警視総監の湯浅倉平とともに引責辞職。
翌1924年2月、後藤新平の助力のもと経営難で不振の読売新聞を買い受けて第7代社長に就任し、新聞界に転じる。
意表をつく新企画の連発と積極経営により社勢を拡大。
当初二流紙扱いであった読売は、1941年に発行部数で朝日新聞・毎日新聞を抜いて東日本最大の新聞となる。
同年秋には、戦時新聞統合を企図する政府の全国新聞一元会社案に反対し、撤回させた。
1940年の開戦時は大政翼賛会総務であったために、1945年12月2日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し正力を逮捕するよう命令を出した(第三次逮捕者59名中の1人)。
A級戦犯の容疑で巣鴨拘置所に勾留され、後に不起訴となったが公職追放処分を受けた。
戦後は、MLB選手を日本に招聘して日米野球を興行するなど ……

関連作品

正力松太郎が亡くなってから、54年と194日が経過しました。(19918日)