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山内一弘 氏(やまうちかずひろ)

プロ野球選手、監督[日本]

2009年 2月2日 死去肝不全享年78歳

山内一弘 - ウィキペディアより引用

山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1日 - 2009年〈平成21年〉2月2日)は、愛知県一宮市奥町出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。
旧名「山内 和弘」(読みは同じ)。
現役選手時代は「打撃の職人」「シュート打ちの名人」「オールスター男」「ミスターオリオンズ」と呼ばれた。
また、指導者としてはその熱心な指導ぶりから「かっぱえびせん」の異名を取った。
概要[編集] 1952年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の毎日オリオンズに入団し、毎日および毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)で「ミサイル打線」の主軸打者として活躍。
後にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の阪神タイガース・広島東洋カープでもプレーし、通算19年間の現役生活で打点王4回・首位打者1回・本塁打王2回を獲得。
通算2271安打・396本塁打・1286打点を記録した。
引退後はロッテオリオンズ(毎日・大毎の後身)や中日ドラゴンズで監督を務め、2002年に野球殿堂入りした。
日本プロ野球 (NPB) 史上初の通算300本塁打達成者であり、川上哲治[注 6]に次ぐNPB史上2人目の通算2000安打達成者(昭和生まれでは初)である。
経歴[編集] 幼少期[編集] 1932年5月1日、愛知県一宮市奥町で、次男として誕生した。
1939年4月に奥国民学校(現:一宮市立奥小学校)に入学。
小学校2年生のころ、自宅の近くにあった小学校の校庭で町内の大人たちが野球をしてお ……

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山内一弘さんが亡くなってから、15年と175日が経ちました。(5654日)