宮田征典 氏(みやたゆきのり)
元プロ野球投手、解説者[日本]
2006年 7月13日 死去肝不全享年68歳
宮田 征典(みやた ゆきのり、1939年11月4日 - 2006年7月13日)は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
日本球界におけるリリーフ専門投手の草分け的存在で「8時半の男」と呼ばれた。
種部儀康(読売ジャイアンツ同期入団)は義兄。
孫の宮田孝将は四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスでプレーした元プロ野球選手で、2020年は同球団のアカデミーコーチを務めた。
2021年からは同球団の野球スクールコーチを務めている。
大姪は、シンガーソングライター兼グラビアアイドルの宮田みほ。
経歴=
大学まで=
子供の頃は利根川でよく泳ぎ、小学校5年生から中学生までは水泳好きで水泳部に所属していたが、中学校でいとこに誘われたことをきっかけに野球を始める。
前橋高校では王貞治を擁する早稲田実業と練習試合で対戦して完封勝ちし、その名が知られるようになる。
1年次の1955年からエースとして活躍し、同年の秋季関東大会県予選では準決勝に進むが前橋商業に敗退。
2年次の1956年も秋季関東大会県予選で準決勝に進むが、伊勢崎高校に敗れる。
その後、白血病と診断されて大きなショックを受けるが、これは誤診で寄生虫による症状と判明する。
しかし、虫を殺す治療として何度も絶食を繰り返したために、体重が27kgも落ちたことがあった。
この頃から、神経性の心臓強迫症が出るようになる。
それでも3年次の1957年夏には復帰するが、あま ……
宮田征典さんが亡くなってから、18年と131日が経ちました。(6706日)