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工藤幹夫 氏(くどうみきお)

プロ野球選手[日本]

2016年 5月13日 死去肝不全享年57歳

工藤幹夫 - ウィキペディアより引用

工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 2016年5月13日)は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(投手、内野手)。
経歴= プロ入り前= 本荘市立小友小学校卒。
本荘市立本荘南中学校時代には軟式野球で東北大会で優勝。
当時のチームメイトには村岡敏英がいる。
秋田県立本荘高等学校では、エースとして1977年秋季東北大会に進むが、1回戦で黒沢尻工業高に敗退。
翌1978年夏の甲子園県予選で決勝に進出し能代高と対戦するが、2-3で惜敗し甲子園出場を逸する。
甲子園出場経験はなかったものの逸材として注目され、読売ジャイアンツ(巨人)も獲得意欲を示していた。
1978年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。
日本ハム時代= 入団当初の投球フォームはアンダースローだったが、オーバースローやサイドスローからも投球し「スパイダー投法」と呼ばれた。
プロ1年目の1979年から一軍(パシフィック・リーグ)の試合で登板を果たし、翌1980年は一軍登板はなかったものの、二軍(イースタン・リーグ)では13勝を挙げて最多勝となる。
1981年には、投球フォームもサイドスローに固定し頭角を現す。
同年は開幕3試合目に先発として起用され好投。
大きく期待されたが、なかなか結果を残せず2勝に終わる。
しかし、同年の巨人との日本シリーズでは5試合に登板。
第1戦では9回に好リリーフ、サヨナラ勝ちを呼び込みシリーズ初勝利を ……

工藤幹夫さんが亡くなってから、8年と192日が経ちました。(3114日)

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