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大杉勝男 氏(おおすぎかつお)

プロ野球選手[日本]

1992年 4月30日 死去肝臓がん享年48歳

大杉勝男 - ウィキペディアより引用

大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。
NPBにおける通算本塁打数・通算打点数ともに歴代9位。
経歴[編集] プロ入り前[編集] 3兄弟の次男として生まれ、4歳年上の兄に影響されて野球を始めた。
その後、兄と父を病で亡くす。
関西高校に入学し、硬式野球部に入部。
1年でありながら真っ先にレギュラー捕手となるが、甲子園に出場することはかなわなかった。
卒業後は、1963年に野球部を新設し、高校の先輩である岡田悦哉が監督となった丸井に入社。
都市対抗の東京都予選などで活躍するが、創部2年目の1964年に野球部は休部する。
1965年、岡田の勧めもあり東映フライヤーズの入団テストを受け、入団。
現役時代[編集] 水原監督は大杉を入団1年目から積極的に起用した。
本来の守備位置である一塁手にはノーム・ラーカーがいたが、外野手、三塁手を兼ねて22試合に先発出場を果たす。
2年目には101試合に出場、180打数ながら8本塁打を残した。
同年は打率.269を記録する。
1967年は飯島滋弥コーチの「月に向かって打て」の助言で開眼し、4月12日の対東京オリオンズ戦(後楽園球場)では両者無得点で迎えた延長13回無死無走者の打席で小山正明からサヨナラ本塁打、5月の段階で両リーグトップの13号を放つ。
レギュラーに定着し、オールスターゲームにも出場。
第3戦(大阪スタヂアム)で江夏豊から満塁本塁 ……

推定関連画像

大杉勝男さんが亡くなってから、32年と88日が経ちました。(11776日)