小田義人 氏(おだよしひと)
ヤクルト球団元スカウト部長、元プロ野球選手[日本]
(青木宣親らの入団に尽力)
2018年 6月5日 死去肺がん享年72歳
小田 義人(おだ よしひと、1947年5月22日 - 2018年6月5日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。
経歴=
静岡東中学時代は県大会で準優勝したほか、200m走23秒6で全日本放送陸上の記録も持っていた。
進学校の静岡高校では甲子園に2回出場し、1年次の1963年夏の選手権では2回戦で銚子商に敗退。
この時のチームメイトには、1年上の長倉春生がいた。
3年次の1965年には春の選抜に出場するが、準々決勝で岡山東商の平松政次に完封負けを喫する。
同年夏の甲子園静岡大会も決勝に進むが、後にプロで同僚となる内田順三のいた東海大一高に10回裏サヨナラ負けを喫する。
同期に服部敏和、佐藤竹秀がいる。
同年の第1回ドラフトでは阪急から6位指名を受けたが拒否し、卒業後の1966年に早稲田大学へ進学。
東京六大学リーグでは在学中に2回の優勝を経験し、3年次の1968年秋季では法大を抑えて2年ぶりの優勝に貢献。
一塁手としてベストナインに選ばれたか、この時のベストナインは三塁手は富田勝、遊撃手は荒川尭、外野手は山本浩二・谷沢健一と後にプロで活躍する選手が多く選ばれている。
リーグ通算75試合出場、294打数73安打、5本塁打、35打点、打率.248。
大学卒業後は1970年に大昭和製紙へ入社し、同年の都市対抗に5番・一塁手として出場。
大学同期の安田猛が毎試合リリーフで好投し決勝まで勝ち進み、決勝では再試合の末に三菱重工神戸を降し優勝を飾った。
他のチー ……
小田義人さんが亡くなってから、6年と169日が経ちました。(2361日)