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荒川博 氏(あらかわひろし)

プロ野球選手、監督[日本]

2016年 12月4日 死去心不全享年87歳

荒川博 - 元プロ野球選手、監督

荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - 2016年12月4日)は、東京都台東区浅草出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ・監督、解説者。
現役引退後は読売ジャイアンツの打撃コーチに就任し、王貞治に「一本足打法」を指導した人物として知られている。
経歴= 王貞治を自宅に招いて指導する荒川 実家は八百屋。
早稲田実業ではエースとして活躍する。
1948年には、春の選抜へ出場、1回戦で神戸二中の河野博(のち阪神)と投げ合うが1-2で惜敗し、夏の甲子園都予選では準決勝で明治高に完封負けを喫した。
1949年に早稲田大学商学部へ進学し、東京六大学野球リーグでは在学中に5度の優勝を経験。
リーグ通算81試合に出場し、289打数81安打・打率.280・1本塁打・40打点の記録を残した。
大学同期に岩本尭・沼澤康一郎、1年下に広岡達朗・小森光生がいる。
大学卒業後の1952年12月6日に毎日オリオンズへ入団。
1953年3月22日の大映戦(後楽園)に2番・右翼手で初出場を果たすと、同31日の阪急戦(後楽園)で天保義夫から初安打・初盗塁を記録。
4月25日の大映戦(福島信夫ヶ丘)では初打点を含む2打点を挙げたほか、8月5日の南海戦(大阪)では中原宏から初本塁打を放ち、打率.315で周囲の期待に応える。
同年のオールスターにも選出され、全3戦に7番・右翼手で先発出場。
1954年からはレギュラーに定着し、規定打席(18位、打率.270)にも到達。
自己最多の5本塁打を記録するが、5本中2本は近鉄 ……

荒川博さんが亡くなってから、7年と352日が経ちました。(2909日)

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