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ジーン・バッキー 氏Gene Martin Bacque

プロ野球選手[アメリカ]

(外国人選手として初めて沢村栄治賞を受賞)

2019年 9月14日 死去享年83歳

ジーン・バッキー - ウィキペディアより引用

ジーン・バッキー(Gene Martin Bacque, 1937年8月12日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)。
アメリカ・ルイジアナ州ラファイエットに生まれる。
サウスウエスト大学卒業後、マイナーリーグ・3Aのハワイ・アイランダーズ(現在は解散)に在籍していたが、解雇されかかっていたところを、当時スポーツニッポンの記者で、阪神の藤本定義監督からの要請で調査に当たっていた有本義明の目に留まり、1962年8月に入団テストを受けて合格し入団した。
入団テストを受けた時のバッキーは球速はあってもコントロールがむちゃくちゃであったが、「磨けば光るかもしれない」という藤本監督の意向で入団が決まった。
背番号は4であった。
阪神入団当初はコントロールが悪かったが、1964年に投手コーチの杉下茂による猛烈なトレーニングで下半身を鍛えられ、さらに小山正明のスライダーを研究することで制球力をつけた。

映像作品

Gene Bacque 60年代のプロ野球選手。ポジションは投手。背番号は4番。 1937年8月12日生まれ。米国ルイジアナ州出身。右投右打。 長い手足から繰り出される変化球を武器に活躍。 チャームポイントはバッキースマイル。 1964年、29勝をあげ、阪神タイガースのセ・リーグ優勝に貢献。 日本シリーズでは南海ホークスのエースピッチャー、ジョー・スタンカと投げあう。 3勝4敗と惜しくも阪神タイガースは日本一にはなれなかったが、沢村賞・最優秀防御率など、多くの賞を獲得。 1965年6月28日、読売ジャイアンツ戦でノーヒットノーランを達成。*1 1968年9月18日、阪神甲子園球場で行われた読売ジャイアンツ戦ダブルヘッダー第2試合で、王貞治らに対して投げた死球や危険投球をきっかけに、「バッキー荒川事件」を起こす。 荒川博コーチと殴りあうバッキーに選手達が襲いかかる。 この乱闘は球史に残る史上最悪の大乱闘劇となり、親指の付け根を骨折、投手生命を縮めたという。 1969年、現役引退。 通算勝利 100勝 通算防御率 2.34 引退後は米国で牧場等を経営。 (引用元 Hatena Keyword)