オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアOliver Wendell Holmes, Jr.
法律家[アメリカ]
1935年 3月6日 死去享年93歳
オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(英語: Oliver Wendell Holmes, Jr.、1841年3月8日 - 1935年3月6日)は、アメリカ合衆国の法律家。
連邦最高裁判所陪席裁判官。
生涯=
ホームズの15セント記念切手(1968年)
1841年、作家、詩人として著名な医師オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアの長男としてボストンに生まれる。
17世紀の先祖にマサチューセッツ湾植民地の知事を務めたサイモン・ブラッドストリートがいる。
1858年、ハーバード大学入学。
『ハーバード・マガジン』誌の編集者になる。
同誌にエッセー「書物」を発表し、「人は神の法に従って別の人間を所有しているのか?」と奴隷制反対論に立ち、論争になる。
1861年同大卒業後に南北戦争では自ら志願してマサチューセッツ軍に入隊し、ボールズブラフの戦い、荒野の戦いなどで3度も重傷を負う。
除隊後はハーバード・ロー・スクールに入学し、優秀な成績で卒業する。
その頃ウィリアム・ジェイムスと知り合う。
1866年、ボストンで弁護士として勤務。
1882年にハーバード・ロー・スクール教授に就任、母校で講義を行う。
金子堅太郎の家庭教師も務めた。
1881年、『コモン・ロー』(The Common Law)を出版。
1882年、ハーバード・ロー・スクール教授就任、同年、マサチューセッツ最高裁判所判事に任命される。
1897年『法の小道』発表。
1899年、マサッチューセッツ州最高裁判所首席裁判官に任命される
1902年、セオドア・ ……
オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアが亡くなってから、89年と261日が経過しました。(32768日)