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広瀬叔功 氏(ひろせよしのり)

プロ野球選手、指導者[日本]

2025年 11月2日 死去心不全享年90歳

広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月27日 - 2025年〈令和7年〉11月2日)は、日本のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督、野球解説者。
概要= 南海ホークスがパ・リーグの盟主として君臨した1950年代後半-1960年代に「鷹の爪」とも呼ばれたリードオフマン。
愛称は「チョロ」。
通算盗塁数・通算盗塁成功率では歴代2位、シーズン626打数は歴代1位の記録を保持している。
パ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。
1961年から1965年にかけて5年連続で盗塁王になったほか、1964年には同時に首位打者のタイトルも獲得している。
経歴= プロ入り前= 広島県佐伯郡大野村(現・廿日市市)で、大工の父・千代治と母・マツ子の間に、7人兄弟の6番目に生まれた。
小学生だった1945年8月、学校での朝礼中に広島市への原子爆弾投下を目撃している。
7歳上の姉は中学校教師で、嫁ぎ相手も中学校教師、次の姉の嫁ぎ相手も広島大学教授という教員一家に育った。
広瀬自身も大野小学校・大野中学校では教員になることを目指し、1952年に普通科のある広島県大竹高等学校(現:広島県立大竹高等学校)に進学した。
父、二人の姉は広瀬が高校で野球を続けることに反対し、「野球をやらない」という一札を広瀬本人から取っていた。
父は「広大にでも入ってもらいたい」と思っていたが、入学後に野球部から熱心に勧誘され、広瀬はついに家 ……

広瀬叔功さんが亡くなってから、7日が経ちました。