ダリル・スペンサー 氏Daryl Dean Spencer
元メジャーリーガー[アメリカ]
2017年 1月2日 死去享年89歳
ダリル・ディーン・スペンサー(Daryl Dean Spencer, 1928年7月13日 - 2017年1月2日)は、アメリカ合衆国カンザス州出身のプロ野球選手(内野手)・プロ野球指導者。
アメリカでのニックネームは「ビッグ・ディー (Big Dee)」。
日本では阪急ブレーブスの主軸打者としてプレーし、「ドクター・ベースボール」と呼ばれた。
日本野球界にサイクル安打の概念を持ち込んだ人物としても知られる。
経歴=
カンザス州ウィチタで生まれ、ウィチタイースト高校、州立ウィチタ大学を経て、1949年にニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約する。
メジャーリーグ時代=
1952年にAAAミネアポリス・ミラーズで、打率.294、27本塁打を記録し、同年ニューヨーク・ジャイアンツでメジャーデビュー。
1953年は二塁・三塁・遊撃を守るユーティリティとして起用され、打率.208ながら20本塁打を放った。
同年オフに日米野球でジャイアンツが来日した際、スペンサーも日本を訪れている。
1954年から2年間は兵役でチームを離脱。
1956年から復帰し、この頃から正遊撃手となった。
以後は1960年にセントルイス・カージナルス、1961年シーズン途中にロサンゼルス・ドジャース、1963年シーズン途中にシンシナティ・レッズと渡り歩いた。
ドジャース以降は三塁手としてプレーした。
1963年7月19日にレッズを戦力外となった。
阪急時代=
1964年に阪急ブレーブスに年俸22,500ドルで入団し来日。
空 ……
ダリル・スペンサーさんが亡くなってから、7年と287日が経ちました。(2844日)