小野正一 氏(おのしょういち)
元プロ野球選手[日本]
(投手として通算184勝)
2003年 3月19日 死去胃がん享年71歳
小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手)。
日本プロ野球 (NPB) で通算184勝155敗の成績を残し、NPB歴代13位(2021年終了時点)の通算2244奪三振を記録した、球史に名を残す速球投手。
妻は元大映女優の仁木多鶴子。
経歴=
実家が材木屋で、子どもの頃から30㎏から40㎏にもなる材木を担いでいたという。
磐城高校では、1950年秋季東北大会県予選準決勝に進むが川俣高校に敗退。
卒業後は社会人野球の常磐炭鉱(清峰伸銅)に入団。
監督の谷口五郎から、背が高く的が大きいため内野手が投げやすいだろうと判断されて、当初は一塁手を務める。
連日の100m×300球の遠投練習によって肩が鍛えられたことから、2年目から谷口は小野を投手に転向させた。
遠投練習の成果により、3年目にはホームベースから120m離れているバックスクリーンに直接ぶつけられるようになったという。
1956年に毎日オリオンズに入団する。
入団当初は一塁手も兼ねていたが、野口二郎コーチの目に留まり投手に専念する。
1年目の開幕直後から先発で起用され、4月4日に近鉄パールス戦で初勝利を挙げた。
同年は4勝にとどまるが、1957年に26勝、防御率1.73(いずれも稲尾和久に次ぐ2位)の好成績を挙げ、一躍エース格にのし上がる。
1960年には西本幸雄監督の意向によりリリーフを主体に起用される。
この年、大毎は6月5日の対近鉄バファロー戦から6月29日の ……
小野正一さんが亡くなってから、21年と248日が経ちました。(7918日)