宮本顕治 氏(みやもとけんじ)
政治家、元日本共産党中央委員会議長[日本]
2007年 7月18日 死去老衰享年98歳
宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年〈明治41年〉10月17日 - 2007年〈平成19年〉7月18日)は、日本の政治家・共産主義者・文芸評論家。
通称ミヤケン。
戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。
参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。
国会に議席を持つ国政政党の党首でありながら、国会議員ではなかった時期がある。
経歴=
学生時代から入党まで=
山口県熊毛郡光井村(現・光市)出身。
父は、隣の島田村で米穀、肥料、雑貨などの小売商を営んでいたが、中学入学当時に破産状態になり、都濃郡富田村にあった母の実家に預けられ、そこから中学に1年くらい通った。
旧制徳山中学校から松山高等学校(現在の愛媛大学)に進学、社会科学研究会を創立し、文芸誌『白亜紀』を発行するなどの活動をおこなった。
東京帝国大学在学中の1929年(昭和4年)8月、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、文壇にデビュー(次席は小林秀雄の『様々なる意匠』)。
1931年(昭和6年)3月、東京帝国大学経済学部を卒業。
『思想』1931年4月に「同伴者文学」を発表。
1931年(昭和6年)5月、日本共産党に入党し、日本プロレタリア作家同盟に加盟。
その後、党の中央アジテーション・プロパガンダ部員に就任。
1932年(昭和7年)2月、作家・中條百 ……
宮本顕治さんが亡くなってから、17年と127日が経ちました。(6336日)