萩原遼 氏(はぎわらりょう)
ジャーナリスト[日本]
(別名義 : 渋谷仙太郎・井出愚樹、「赤旗」平壌特派員時代に、北朝鮮から国外追放処分を受ける)
2017年 12月22日 死去心不全享年81歳
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。
元赤旗記者。
本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。
別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。
北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。
日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。
略歴=
高知県高知市出身。
立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。
日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。
17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
住み込みの牛乳配達などをし、その後大阪府立天王寺高等学校定時制に編入。
そのとき同級生となった在日朝鮮人(尹元一:済州島出身で朝鮮戦争の難民として日本に密航)と意気投合し、それ以降どっぷり朝鮮半島と朝鮮語にのめりこんでいく。
父親などの影響もあり、18歳の時に日本共産党に入党。
1963年、26歳の時大阪外国語大学に新設された朝鮮語学科に第一期生として入学。
大学卒業後、共産党の招請により『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)記者となり、平壌特派員として勤務。
平壌赴任[1972年(昭和47年)5月23日]後に、在日朝鮮人の帰還事業によって北朝鮮に帰った親友・尹元一を捜し回ったことが原因で、北朝鮮からスパイ容 ……
萩原遼さんが亡くなってから、6年と334日が経ちました。(2526日)