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ニコラエ・チャウシェスク 氏Nicolae Ceaușescu

大統領、独裁者[ルーマニア]

1989年 12月25日 死去銃殺享年72歳

ニコラエ・チャウシェスク - ウィキペディアより引用

ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceaușescu, ルーマニア語: [nikoˈla.e tʃe̯a.uˈʃesku] ( 音声ファイル); 1918年1月26日– 1989年12月25日) は、ルーマニアの共産政治家。
ルーマニア社会主義共和国大統領、ルーマニア共産党書記長、ルーマニア国家評議会第3代議長を歴任した。
王制時代のルーマニアの貧しい農家に生まれ、早くから共産主義運動に関わった。
ルーマニア共産党に入党し、数回逮捕され、第二次世界大戦中は収容所暮らしを送った。
戦後、ルーマニア共産党が権力を握ると、ゲオルゲ・ゲオルギウ=デジ(Gheorghe Gheorghiu-Dej)による指導のもと、共産党内で出世し、ゲオルギウ=デジが死去した1965年3月に後継者としてルーマニア共産党書記長に就任し、権力を掌握した。
チャウシェスクは前任者のゲオルギウ=デジの方針を踏襲する形で、ルーマニアをソ連の影響下から脱却させようとし、外国資本の参入を認め、国際金融機関から融資を受けた。
これにより、ルーマニアは農業国から工業国への転身を果たした。
加えてチャウシェスクは労働力を増やすべく、1966年に「法令第770号」(Decretul 770)を制定・可決し、結婚と多産を奨励し、避妊、堕胎、離婚の原則禁止を決定したが、望まぬ妊娠を避けようとする女性の負傷・死亡の増加や、HIV感染が蔓延した。
権力の座に就いたころのチャウシェスクは、報道の検閲を緩和したり、党のイデオロギーに反しない限り、表現の自由を認めており、ルーマニ ……

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