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黄長燁 氏(ファン・ジャンヨプ)

元朝鮮労働党書記[北朝鮮→韓国]

(韓国に亡命)

2010年 10月10日 死去心臓麻痺享年87歳

黄長燁 - ウィキペディアより引用

黄 長燁(こう・ちょうよう、ファン・ジャンヨプ、朝鮮語: 황장엽、1923年〈大正12年〉2月7日 - 2010年10月9日)は、朝鮮民主主義人民共和国の思想家で主体思想の理論家、政治家。
元朝鮮労働党国際担当書記。
1997年に大韓民国(韓国)に亡命し、死去するまで韓国に在住していた。
黄長燁各種表記チョソングル: 황장엽漢字: 黃長燁発音: ファン・ジャンヨプ日本語読み: こう ちょうようローマ字: Hwang Jang-yeopテンプレートを表示 生涯= 咸鏡道出身とも平壌の江東郡出身とも言われる。
地主の家庭に生まれた。
中央大学法学部で学んだ。
そのため教養のある日本語を話すことができ、北朝鮮在住時から度々日本のメディアによるインタビューに日本語で応じていた。
大学は2年次で中退し、平壌に帰ってからは母校である平壌商業学校の数学と珠算の教師をしていた。
1949年、ソ連のモスクワ大学へ留学し哲学博士号を取得する。
帰国後は金日成総合大学で教鞭を執り、1965年に同大学総長に就任。
1970年には朝鮮労働党中央委員会委員に就任し、その後は党の国際担当書記や最高人民会議外交委員会委員長などの要職を歴任する。
この時期には金日成国家主席の側近であり、そのゴーストライターとも言われた。
黄長燁の回顧録によれば、1974年、金正日が後継者に決まると、金日成は朝鮮民族の聖なる山として知られていた白頭山を訪ね、景色のよい箇所を適当に指さして「そこが息子の生 ……

黄長燁さんが亡くなってから、14年と42日が経ちました。(5156日)

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