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幸徳秋水(こうとくしゅうすい)

無政府主義者、ジャーナリスト[日本]

1911年 1月24日 死去死刑享年41歳

 - ウィキペディアより引用

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。
本名は、幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)。
秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。
大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。
高知県幡多郡中村町(現在の高知県四万十市)に生まれる。
幸徳家は、酒造業と薬種業を営む町の有力者で、元々は「幸徳井(かでい)」という姓で、陰陽道をよくする陰陽師の家であった。
尚、妻師岡千代子の父は幕末の尊王攘夷運動で活躍し、足利三代木像梟首事件の首謀者とされている国学者の師岡正胤である。
9歳の時、儒学者・木戸明の修明舎に入り、四書五経等を学ぶ。
11歳で旧制中村中学校(現:高知県立中村中学校・高等学校)に進学するも、台風で校舎が全壊しなかなか再建されず退学。
1887年(明治20年)に上京し、同郷の中江兆民の門弟となる。
新聞記者を目指し、『自由新聞』(板垣退助社長。
小泉策太郎と親友に)等に勤めた。
同年に発布された保安条例で大阪に移った兆民は角藤定憲に芝居公演の企画を提唱し、角藤は大日本壮士改良演劇会を旗揚げ、所謂壮士芝居の先駆となる。

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社会主義者。土佐生。本名伝次郎。青年期に自由民権運動に触れ、政治家を志す。上京して中江兆民に師事。「万朝報」記者時代に社会主義研究会に入会、日本で最初の社会主義政党である社会民主党を結成する。日露戦争反対を説いて退社、堺利彦と平民社を興し「平民新聞」を刊行する。次第に無政府主義に傾き、弾圧の厳しさが増すにつれ文筆活動に専念したが、明治四三年大逆事件に連座した。明治44年(1911)歿、41才。 (引用元 コトバンク)