伊達忠宗(だてただむね)
陸奥仙台藩主[日本]
(万治元年7月12日没)
1658年 8月10日 死去享年59歳
伊達 忠宗(だて ただむね)は、江戸時代前期の大名。
陸奥国仙台藩2代藩主。
伊達氏18代当主。
官位は従四位下・左近衛権少将、陸奥守。
仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため「守成の名君」と評された。
生涯=
伊達政宗の次男(嫡男)として大坂城下で誕生した。
母は田村清顕の娘・愛姫。
伊予国宇和島藩初代藩主・伊達秀宗は異母兄。
慶長12年(1607年)、この年誕生した大御所・徳川家康の五女・市姫との婚約が成立したが、市姫は3年後に夭逝したため、代わりに池田輝政の娘・振姫(家康の孫娘)が2代将軍・徳川秀忠の養女として嫁いだ。
慶長16年(1611年)、秀忠から松平の名字を与えられる。
庶長子であった兄の秀宗は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に父・政宗と共に参陣し、戦後に家康から伊予宇和島10万石を与えられて別家を興したため、忠宗が伊達宗家の後継者と定められた。
元和7年(1621年)、砲術を学びたいということで毛利高政のもとに入門して奥義を授けられ、15間(約27メートル)の距離で下げ針を撃ち落とすほどの鉄砲の名手となった。
寛永七年(1630)八月、江戸で嫡男・虎千代が死去。
仙台城にいた忠宗は、虎千代の遺骸を迎えて手厚く葬った。
「治家記録」に「嗣君より杉浦某へ殉死につき御書下さる」とあり、軽輩杉浦某が殉死し た心情に触れることができる。
葬礼当日の朝に寺の庭上で殉死したのである。
杉浦某は虎千代の ……
伊達忠宗が亡くなってから、366年と61日が経過しました。(133743日)