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伊達吉村(だてよしむら)

陸奥仙台藩主[日本]

(宝暦元年12月24日没)

1752年 2月8日 死去享年73歳

伊達吉村 - ウィキペディアより引用

伊達 吉村(だて よしむら)は、江戸時代中期の大名。
仙台藩5代藩主。
伊達氏21代当主。
始め仙台藩一門宮床伊達家2代当主。
官位は従四位上・左近衛権中将、陸奥守、贈従三位。
仙台藩で初の一門出身で賜姓伊達氏出身の藩主である。
また、歴代仙台藩主中で最長在職の藩主であり、その治世は40年に及んだ。
就任時点で破綻状態にあった仙台藩の財政を建て直したことから、仙台藩「中興の英主」と呼ばれる。
生涯[編集] 誕生から藩主就任まで[編集] 延宝8年(1680年)6月28日、宮床邑主・伊達宗房(2代藩主・伊達忠宗の八男)の嫡男として、陸奥国東磐井郡大原村(現岩手県一関市大東町大原)に生まれ、同村八幡寺にて教育を受ける。
母は片倉景長の長女・松子。
幼名は助三郎。
貞享3年(1686年)1月13日、父・宗房の死により家督を相続する。
元禄3年(1690年)12月、元服し、従兄で藩主の伊達綱村から偏諱を賜り村房(むらふさ)と名乗る。
元禄6年(1693年)の一門による藩主・綱村への諫言書提出には年少のため名を連ねていない。
元禄8年(1695年)3月、陸奥一関藩主・田村建顕の養嗣子に迎えられることになると、一家・小梁川家を継いでいた弟の宗辰(後の伊達村興)を呼び戻して宮床伊達家の家督を譲り、村房は一門上座の家格を与えられて5月には江戸の一関藩邸に入ったが、正式に養子縁組を幕府に届出る前に、跡取りのいなかった綱村の養嗣子に迎えられることになった。 ……

伊達吉村が亡くなってから、272年と168日が経過しました。(99516日)