三好長慶(みよしながよし)
戦国大名[日本]
(永禄7年7月4日没)
(ユリウス暦) 1564年 8月10日 死去享年42歳
三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将で、畿内・阿波国の戦国大名。
室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。
元は細川晴元の有力家臣であったが、細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍足利義晴・義輝共々晴元を京都より放逐し、三好政権を樹立する。
その後は細川氏が支配していた領地を継承・拡充し、足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び、畿内の支配者として君臨した。
織田信長以前の天下人とされる。
出自=
山城国下五郡守護代であった三好元長の嫡男で、永正3年(1506年)に細川澄元に属して阿波国より上洛した三好之長の曾孫。
三好実休、安宅冬康、十河一存、野口冬長の兄。
正室は波多野秀忠の娘(波多野氏)、継室は遊佐長教の娘(遊佐氏)。
通称は孫次郎、官位は従四位下伊賀守、筑前守、後に修理大夫。
史料では「三筑(=三好筑前守)」の略称で彼の名が多く残っている。
諱の長慶は「ちょうけい」と呼ばれることもある。
生涯=
出生・家督相続=
大永2年(1522年)2月13日、細川晴元の重臣である三好元長の嫡男として現在の徳島県三好市にある芝生城で生まれる。
三好氏歴代の居館地と伝わる阿波国三好郡芝生(三野町芝生)では、生母・慶春院が長慶を孕んだ時に館の南の吉野川の瀬に立って天下の英雄の出生の大願をかけたという伝承がある。
父は細川晴元配下の重臣三好元長で、主君・晴元の敵であった細川高国を滅ぼし ……