細川高国(ほそかわたかくに)
守護大名、管領[日本]
(享禄4年6月8日没)
(ユリウス暦) 1531年 7月21日 死去自害享年48歳
細川 高国(ほそかわ たかくに)は、戦国時代の武将、大名。
室町幕府31代管領。
摂津国・丹波国・山城国・讃岐国・土佐国守護。
細川京兆家15代当主。
細川氏一門・野州家の細川政春の子に生まれ、細川氏嫡流(京兆家)当主で幕府管領の細川政元の養子となった。
11代将軍足利義高(のちの義澄)より偏諱(「高」の字)を与えられ、高国と名乗る。
弟に晴国。
実子に稙国ほか、養子に氏綱がいる。
権力者だった政元が暗殺された後の混乱(永正の錯乱)を経て、同じく政元の養子であった阿波守護家出身の細川澄元を結果的に排除し、細川京兆家の家督と幕府の実権を手中にした。
その後も両細川の乱と呼ばれる権力抗争が長期継続するが澄元には勝利し、将軍足利義稙を廃して義晴を擁立するなど、管領として幕政や京の都周辺の掌握を続け畿内に君臨した。
一方、細川氏の支配構造の基礎である「内衆」と呼ばれた分国の重臣達は、京兆家の抗争に伴って各々対立し疲弊消耗していった。
外様である大内氏の兵力を頼っていたが、大内勢の帰国後は支持基盤をうまく固められず、最終的には澄元の子の細川晴元に敗れて自刃に追い込まれた。
生涯=
出生=
文明16年(1484年)、細川氏一門・野州家の細川政春の子として誕生した。
高国が京兆家当主・細川政元の養子となった明確な時期は不明であるが、細川澄之・澄元の後に養子になったようで、政元にとっては3番目の養子であった。< ……