長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)
戦国大名[日本]
(慶長4年5月19日没)
1599年 7月11日 死去享年61歳
長宗我部 元親(ちょうそかべ/ちょうすがめ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての 大名・武将。
長宗我部氏第21代当主。
長宗我部国親の長男。
国司家である土佐一条氏を追い出し、土佐国を統一した。
その後、各地の土豪を倒して、四国を統一した。
しかし、豊臣秀吉の四国征伐によって降伏し、土佐一国の領有を許された。
その後、秀吉の九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役に従軍した。
内政面では、検地を行ったほか、分国法である「長宗我部元親百箇条」を定めた。
生涯=
家督相続=
天文8年(1539年)、長宗我部国親の嫡子として、土佐国長岡郡の岡豊城で生まれる。
母は本山氏の娘・祥鳳玄陽。
土佐守護・細川晴元の偏諱を受け、元親と名乗る。
永禄3年(1560年)5月、元親は父の国親が土佐郡朝倉城主の本山氏を攻めた長浜の戦いにおいて、実弟の親貞と共に初陣する。
数え年23歳という遅い初陣であったが、元親は長浜表において本山勢を襲撃した長宗我部勢に加わり、自ら槍を持って突撃するという勇猛さを見せたといわれる。
この一戦で元親の武名は高まり、長浜戦に続く潮江城(現筆山公園)の戦いでも戦果を挙げた。
6月、父の国親が急死すると、元親は家督を相続した。
土佐中部・東部の平定=
元親は剽悍な一領具足を動員して、土佐国内で勢力拡大を行う。
長浜戦で敗れた本山茂辰が元親の攻勢に押されるようになった一方で、元親は永禄3 ……
長宗我部元親が亡くなってから、426年と246日が経過しました。(155843日)



