宇喜多秀家(うきたひでいえ)
戦国大名[日本]
(明暦元年11月20日没)
1655年 12月17日 死去享年84歳

宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)は、安土桃山時代の武将・大名。
宇喜多氏の当主。
通称は八郎、参議に任じられた天正15年以降は備前宰相と呼ばれた。
父・直家の代に下克上で戦国大名となった宇喜多氏における、大名としての最後の当主である。
豊臣政権下(末期)の五大老の一人で、家督を継いだ幼少時から終始、秀吉に重用されており、秀吉の養女・豪姫を妻として豊臣一門としての扱いを受けていた。
文禄の役では総大将となった。
関ヶ原の戦いで西軍の主力の一人として敗れて領国を失うまで、備前岡山城主として備前・美作・備中半国・播磨3郡の57万4,000石を領していた。
宇喜多秀家が亡くなってから、370年と149日が経過しました。(135292日)



