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狩野一信(かのうかずのぶ)

絵師[日本]

(文久3年9月22日没)

1863年 11月3日 死去享年48歳

狩野一信 - ウィキペディアより引用

狩野 一信(かのう かずのぶ、文化13年(1816年)誕生日不明 - 文久3年9月22日(1863年11月3日))は、江戸時代後期の絵師。
本姓は不明、後に逸見。
通称、豊次郎(とよじろう)。
号は顕幽斎。
なお、研究の進展により一信は生前に狩野姓を名乗ったことはなく、「逸見一信(へんみ かずのぶ)」、あるいは「顕幽斎一信(けんゆうさい かずのぶ)」と呼ぶのが適切とする意見もある(後述)。
なお、徳川将軍家の表絵師として仕えた深川水場狩野家に狩野梅笑一信という絵師がおり、両者を混同している書籍もあるが、両者は生歿年が異なる別人である。
増上寺に全100幅にも及ぶ大作「五百羅漢図」を残したことで知られる。
伝記[編集] 増上寺本「五百羅漢図」のうち第51幅(右)・第52幅(左)。
第51幅からの10幅は「神通」、すなわち羅漢たちの神通力を描く。
第51・22幅は干上がった川に羅漢たちが神通力で水を注ぎ、食べられそうになる魚たちを助ける場面。
増上寺本「五百羅漢図」のうち第61幅(右)・第62幅(左)。
第61幅からの10幅は「禽獣」、羅漢たちが霊獣たちを手懐け、聖なる動物をも意のままにできる神通力を示す。
未だ100幅完成まで先は長いが、60幅代から画の質が落ち始めており、一信の病いが次第に重くなっていく様が想像できる。
画歴[編集] 江戸本所林町(現在の東京都墨田区立川)に骨董商の次男として生まれる。
幼少から絵を好んだらしい一信は、父の勧め ……

推定関連画像

狩野一信が亡くなってから、160年と266日が経過しました。(58706日)

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