伊藤義弘 氏(いとうよしひろ)
元プロ野球選手[日本]
2025年 10月6日 死去交通事故享年44歳

伊藤 義弘(いとう よしひろ、1982年6月2日 - 2025年10月6日)は、福岡県福岡市早良区出身の元プロ野球選手(投手)、右投右打。
2020年夏から2025年夏までは東福岡高等学校で硬式野球部監督を務めていた。
経歴=
プロ入り前=
『SLAM DUNK』を愛読していた影響で、幼少期にはバスケットボールの選手を志していた。
通っていた小学校にはバスケットボール部がなく、ソフトボール部が2つあったことから、やむなくソフトボール部で活動。
中学校への進学を機にバスケットボール部へ入ろうとしたところ、野球道具一式を揃えていた両親から「(軟式)野球部に入らないのなら勘当する」と言われたことから、高校進学後のバスケットボール部入りを視野に入れつつ軟式野球を始めた。
本人によれば、「中学最後の大会で自分の失策からチームが0対1で惜敗したことがきっかけで、自分から両親に『高校でも野球を続ける』と言った」とのことで、東福岡高校への進学を機に硬式野球部へ入った。
高校2年時の1999年に、2番手扱いながら、夏の選手権福岡大会で7試合中6試合にリリーフで登板。
チームを本大会出場に導いたが、初戦で青森山田高校に敗れた。
140km/h近い速球とカーブを武器に、3年時の夏にエースの座を確保したものの、福岡大会の準々決勝で香月良太を擁する柳川高校に7回コールド負けを喫した。
高校の2学年先輩に村田修一、1学年先輩に田中賢介、2学年後輩に吉村裕基がいた。
高校からの卒業 ……
伊藤義弘さんが亡くなってから、1日が経ちました。