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木戸幸一(きどこういち)

政治家、侯爵[日本]

1977年 4月6日 死去胆汁性肝硬変享年89歳

木戸幸一 - ウィキペディアより引用

木戸 幸一(きど こういち、1889年〈明治22年〉7月18日 - 1977年〈昭和52年〉4月6日)は、日本の官僚、政治家。
侯爵。
昭和天皇の側近の一人として東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、太平洋戦争前後の政治に関与した。
敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、極東国際軍事裁判において終身刑のA級戦犯となったが後に仮釈放された。
生涯= 生い立ち= 1889年(明治22年)7月18日に東京府赤坂区新坂町六二において侯爵木戸孝正の長男として生まれた。
父の木戸孝正は、明治の元勲である木戸孝允の妹治子と長州藩士来原良蔵の長男である。
学習院高等科では原田熊雄、織田信恒などと同級だった。
近衛文麿は1学年下に当たる。
「学習院高等科から出た者は、東京の大学が満員だから全部京都大学へ行けというような話」があり、木戸、原田、織田は京都帝国大学法科大学政治学科に入学し、河上肇に私淑した。
同校卒業後は農商務省へ入省した。
農商務省が農林省と商工省に分割の際は、商工省に属することとなる。
公職入り= 1915年(大正4年)に農商務省に入り、農務局で蚕糸業改良の調査から水産局事務官、工務局工務課長、同会計課長、産業合理局部長などを歴任する。
父の死去に伴い、1917年(大正6年)8月30日、侯爵を襲爵し貴族院侯爵議員に就職した(1945年12月27日辞任)。
商工省では臨時産業合理局第一部長兼第二部長を務め、吉野信次と岸信介が起案した重要産業統制 ……

木戸幸一が亡くなってから、47年と229日が経過しました。(17396日)

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