岡田啓介(おかだけいすけ)
政治家、内閣総理大臣、海軍大将、連合艦隊司令長官[日本]
1952年 10月17日 死去享年85歳
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日〈慶応4年1月21日〉- 1952年〈昭和27年〉10月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。
最終階級は海軍大将。
栄典は正二位勲一等功三級。
田中義一内閣で海軍大臣を務めたのち、齋藤内閣でも海軍長老として海軍大臣を再び拝命して五・一五事件後の騒然とした海軍省部内を収めた。
その斎藤内閣が瓦解したあと大命降下を受けて内閣総理大臣に就任、岡田内閣では一時拓務大臣と逓信大臣を兼任している。
二・二六事件で反乱軍に襲撃されたが、義弟で秘書官を務めていた松尾伝蔵が身代わりとなり、奇跡的に難を逃れた。
総理退任後も重臣として度々枢機に与ったが、第二次世界大戦中は東条内閣打倒を自らの責務ととらえ倒閣運動を主導した。
晩年に口述した『岡田啓介回顧録』はこの動乱の時代を知る上での貴重な史料となっている。
生涯=
→「§ 年譜」も参照
生い立ち=
1868年(慶応4年)、福井藩士(100石)岡田喜藤太と妻はるの長男として生まれる。
1884年(明治17年)9月、旧制福井中学(現:福井県立藤島高等学校)を卒業。
翌年1月に上京し、上級学校進学のために須田学舎や共立学校(現:開成中学校・高等学校)などに在籍したが、学資の援助を受けていたことを心苦しく感じ、学費が掛からないところとして師範学校系か陸海軍系学校の受験を決意、陸軍士官学校受験に志望変更した。
受験に必須であったドイツ語を学ぶため、当時陸士の ……
岡田啓介が亡くなってから、72年と35日が経過しました。(26333日)