高橋是清(たかはしこれきよ)
政治家、内閣総理大臣、蔵相、日銀総裁、政友会総裁[日本]
1936年 2月26日 死去射殺享年83歳

高橋 是清(たかはし これきよ、旧字体:高橋 是淸、1854年9月19日〈嘉永7年/安政元年閏7月27日〉- 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の政治家。
日本銀行総裁。
立憲政友会第4代総裁。
第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。
栄典は正二位大勲位子爵。
幼名は和喜次(わきじ)。
日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させたことで、近代日本を代表する財政家として知られることから、内閣総理大臣としてよりも、大蔵大臣としての評価の方が高い。
愛称は「ダルマさん」。
二・二六事件で暗殺された。
生涯=
1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)幕府御用絵師・川村庄右衛門ときんの子として生まれた。
きんの父は芝白金で代々魚屋を営んでいた三治郎。
きんは行儀見習いのために川村家へ奉公していた。
庄右衛門の妻は身重となったきんの身を案じ、きんのおばの家(芝中門前町)へ帰して静養させ、是清が生まれた。
庄右衛門はすぐに実子と認知したが、仙台藩江戸詰の足軽高橋覚治へ里子に出した。
3歳の時に実子として届けた。
4歳ごろ、藩主の奥方に召され破格の嘉尚を受けた。
藩命により、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(後の明治学院)にて学び、1867年(慶応3年)に勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学した。
しかし、横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商、ユージン・ヴァン・リードによって学費や ……
高橋是清が亡くなってから、89年と182日が経過しました。(32689日)