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明石潮 氏(あかしうしお)

俳優[日本]

1986年 11月26日 死去気管支肺炎享年89歳

明石潮 - ウィキペディアより引用

明石 潮 (あかし うしお、1898年〈明治31年〉9月11日 - 1986年〈昭和61年〉11月26日)は、日本の俳優。
本名は明石 義仁。
東亜キネマで剣劇スターとして活躍し、後に自ら剣劇団を組織して舞台活動を行った。
戦後は東映時代劇を中心に脇役として多くの作品に出演した。
出演作は300本を越える。
来歴・人物= 1898年(明治31年)9月11日、鳥取県気高郡鹿野町の地主の家に生まれる。
明石家は山本勘助の叔父・七左衛門の家系と言われ、祖父の藤十郎は近在で剣豪と知られ、潮は祖父から剣道をみっちり教わって育った。
小作の子を呼び捨てにする癖を祖父に叱責され、藍の甕に突っ込まれて半年くらい首から下が藍に染まったことがあり、以来誰に対しても「さん」付けで呼ぶ習慣がついたという。
父親の文三郎は養子で、明石太夫の名で義太夫を語ることもある遊芸好みの人物だった。
1910年(明治43年)に県立師範学校付属小学校高等科を卒業し、持ち前の向学心と家の束縛から逃れたいために友人を頼って上京。
早稲田実業学校に入学し、1915年(大正4年)に卒業した。
1917年(大正6年)に早稲田大学文学部に入学するが、演劇の世界に惹かれて上山草人に師事、大学は同年7月で中退した。
米騒動や廃娼運動に関わったことによる退学処分だった。
同年9月に上山が主宰する近代劇協会に加入し、翌1918年(大正7年)6月に有楽座で公演された『ヴェニスの商人』のバッサニオ役で初舞台を踏んだ ……

明石潮さんが亡くなってから、37年と361日が経ちました。(13875日)

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