吉武輝子 氏(よしたけてるこ)
評論家[日本]
2012年 4月17日 死去肺炎享年82歳

吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。
反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。
長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。
経歴=
兵庫県芦屋市生まれ。
終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。
東洋英和女学院高等部卒業。
1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。
同年、東映に入社。
監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。
長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。
フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
1977年、第11回参議院議員通常選挙に全国区から無所属(社会党など推薦)で立候補するが落選している。
また1986年12月16日に評論家樋口恵子とともに「土井たか子を支える会」を結成、翌87年1月20日には「土井委員長を囲む会」の代表に篠原一とともに選ばれた。
チェーンスモーカーであったため、晩年は肺炎を繰り返すようになり、シェーグレン症候群、慢性肺気腫、大腸癌、膠原病、慢性骨髄性白血病などを患い、2012年4月17日、肺炎のために死去。
80歳没。
家族=
父親は銀行員だったが、定年退職後55歳で自死。
夫は大学時代の演劇部仲間の宮古勝治。
一人娘の長女は宮子あずさ。
2000年に夫が亡くなり、のちに選挙 ……
女性の地位向上などに取り組んだ評論家の吉武輝子(よしたけ・てるこ)さんが17日、肺炎のため死去した。80歳だった。兵庫県出身。葬儀は21日正午から東京都新宿区神楽坂5の36の善国寺で。喪主は長女で作家の宮子(みやこ)あずささん。 慶応大卒業後、1954年東映に入社し、日本初の女性宣伝プロデューサーになった。66年退社し、文筆、講演活動に。女性の地位向上とともに、自身の体験を踏まえて「戦争への道を許さない女たちの連絡会」世話人を務め、平和問題に取り組んだ。77年の参院選全国区に無所属で立候補したが、落選した。 東日本大震災後、呼び掛け人の一人となって、文化人、学者ら幅広い分野で活躍する女性らとともにネットワーク「脱原発をめざす女たちの会」を立ち上げた。 著書は「女人 吉屋信子」「置き去り サハリン残留日本女性たちの六十年」など多数。
吉武輝子さんが亡くなってから、13年と75日が経ちました。(4823日)