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淡谷のり子 氏(あわやのりこ)

歌手[日本]

1999年 9月22日 死去老衰享年93歳

淡谷のり子 - ウィキペディアより引用

淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の日本の女性歌手。
日本のシャンソン界の先駆者として知られ、愛称は「ブルースの女王」。
叔父は政治家の淡谷悠蔵。
略歴= 青森県立青森高等女学校中退後、上京して東洋音楽学校(現:東京音楽大学)ピアノ科に入学、後に声楽科に編入する。
同声楽科では荻野綾子、久保田稲子に師事。
1929年に同声楽科を首席で卒業。
同年春に開催されたオール日本新人演奏会(読売新聞主宰)で歌唱し、「10年に一度のソプラノ」と絶賛された。
1930年にポリドールから『久慈浜音頭』で歌手デビュー。
翌1931年に日本コロムビアへ移籍し、いわゆる古賀メロディーの『私此頃(このごろ)憂鬱よ』がヒットし、流行歌手としてその名が知られるようになった。
1935年に発表した、シャンソン曲『ドンニャ・マリキータ』がヒットしたことから、日本におけるシャンソン歌手の第1号となった。
日中戦争が勃発した1937年に発売した『別れのブルース』が100万枚を超える大ヒットとなり、一気にスターダムへ駆け上がった。
翌1938年に発売した『雨のブルース』は、満州の将兵たちに熱狂的に受け入れられるなどしてこちらもヒット。
1939年に始まった第二次世界大戦中は、歌手として慰問活動を積極的に行い、戦後を迎えた。
1953年の第4回NHK紅白歌合戦に初出場と同時に紅組のトリを務めた(ただしトリに関しては異説あり) ……

淡谷のり子さんが亡くなってから、26年と34日が経ちました。(9531日)

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