芸能人・経営者のおくやみ情報

原ひさ子 氏(はらひさこ)

女優[日本]

(旧芸名・原緋紗子)

2005年 12月4日 死去心不全享年97歳

原ひさ子 - ウィキペディアより引用

原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日 - 2005年(平成17年)12月4日)は、日本の女優。
本名は石島 久(いしじま ひさ)。
旧芸名に原緋紗子、原緋沙子。
略歴= 1909年(明治42年)、静岡県静岡市に四人兄妹の末っ子として生まれた。
父は銀行員だったが、6歳の時に亡くなっている。
不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)を卒業すると同時に上京し、伯父夫婦の養子となった。
伯父は会社のエンジニアだったが、東京大学の近くで下宿と喫茶店も経営していた。
この当時原は家業を手伝ったり、長唄や生け花を習うなど花嫁修業をしていた。
1933年(昭和8年)、新聞の広告で見た前進座の座員募集に応募した。
当時は女優になろうとする気はなく、裏方にでもなれればいいと思っていた。
しかし、女優募集の試験であったため、周りには綺麗な人しかいなく、逃げだしたい気持ちになったという。
試験官には久保栄や村山知義らがいた。
数日後、合格通知が届いた。
合格の理由は「何もできないところが素直でよかった」とのこと。
芝居が好きだった伯父や姉は女優になることを許してくれたが、静岡で銀行員をしていた兄は猛反対し、以降3年間絶縁された。
初舞台は新橋演舞場の『牛を喰う』の町娘役で、最初に貰った給料は15円だった。
その後原緋紗子の芸名を名乗り、歌舞伎や股旅物、現代劇などの舞台に立った。
特に、現代劇『石川啄木』では啄木の妻役で出 ……

原ひさ子さんが亡くなってから、18年と352日が経ちました。(6927日)