ゴットホルト・エフライム・レッシングGotthold Ephraim Lessing
詩人、劇作家[ドイツ]
1781年 2月15日 死去享年53歳
ゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729年1月22日 - 1781年 2月15日)は、ドイツの詩人、劇作家、思想家、批評家。
ドイツ啓蒙思想の代表的な人物であり、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物である。
その活動は、ゲーテやシラー、カント、ヤコービ、ハーマン、ヘルダー、メンデルスゾーンなど当時のドイツ文学・思想に多大な影響を及ぼした。
西洋近代の転生説を最初に明記した人物と言われており、この転生思想は現代日本への影響も大きい。
また彼の死後、文学・哲学界でいわゆる「スピノザ論争」がおきた。
生涯=
ザクセン州のカメンツ(ドイツ語版)という小さな町の聖職者の息子として生まれる。
ライプツィヒ大学で、医学と神学を学び、その後に著作・創作活動とともにさまざまな職を歴任。
まずはベルリンとライプツィヒとで、1748-1760年までには著述家、編集者として働く。
18歳にして処女作「若い学者」を上演。
1760-1765年にはタウエンツィーエン将軍の秘書として働き、後にドイツ国民劇場で脚本家、指導者として働く。
1766年の著書『ラオコオン』でギリシア美術を論じ、後の美術思想に大きな影響を及ぼす「ラオコオン論争」を起こした。
晩年には図書館の司書も勤めた。
この図書館司書在任中、知人の牧師ゲーツェ(Johann Melchior Goeze)とドイツ文学史上屈指の激しい宗教論争を巻き起こし、代表作で ……
ゴットホルト・エフライム・レッシングが亡くなってから、243年と277日が経過しました。(89033日)