嵯峨善兵 氏(さがぜんぺい)
俳優[日本]
1989年 3月13日 死去心不全享年81歳
嵯峨 善兵(さが ぜんぺい、1909年〈明治42年〉5月18日 - 1989年〈平成元年〉3月13日)は、日本の俳優、映画製作者。
本名:佐賀 善一(さが ぜんいち)。
新劇俳優から映画俳優となり、戦後に発生した東宝争議では山本薩夫、伊藤武郎らと組合側の先頭に立った。
以後は独立プロ映画など多くの作品に出演している。
また、独特な顔立ちからテレビドラマでは時代劇における悪徳商人としても活躍した。
来歴・人物=
1909年(明治42年)5月18日、石川県金沢市に生まれる。
1男2女の長男で、生家は生糸と羽二重を製造していた。
日本美術学校(現・日本美術専門学校)洋画科卒業。
1929年(昭和3年)、日本プロレタリア美術家同盟に入るが俳優に転じ、同年東京左翼劇場に入り、6月の第12回公演『全線』で初舞台を踏む。
その後新築地劇団、劇団金曜会、東京演劇集団などを転々として舞台活動を行う。
1932年(昭和7年)、日活を脱退した伊藤大輔、内田吐夢、田坂具隆、村田実らで結成した新映画社の設立第1作『昭和新撰組』に出演、映画初出演作となるが、翌1933年(昭和8年)に解散したため、同社メンバーと行動を共にして新興キネマに入社。
1935年(昭和10年)にP.C.L.映画製作所へ移り、木村荘十二監督の『都会の怪異七時三分』等に出演。
この頃一時期だけ細川ちか子と同棲していた。
1937年(昭和12年)、東宝映画の専属となり、脇役として多くの映画に出演した。
1946年(昭和21年)か ……
嵯峨善兵さんが亡くなってから、35年と253日が経ちました。(13037日)