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岡譲司(おかじょうじ)

俳優[日本]

(旧芸名・美濃部進・岡譲二)

1970年 12月17日 死去享年69歳

岡譲司 - ウィキペディアより引用

岡 譲司(おか じょうじ、1902年5月25日 - 1970年12月17日)は、日本の俳優である。
本名は中溝 勝三(なかみぞ かつぞう)。
旧芸名は美濃部 進(みのべ すすむ)、岡 譲二(読み同じ)。
人物・来歴= 1902年(明治35年)5月25日(日曜日)、東京府東京市京橋区越前堀(現在の東京都中央区新川)に生まれる。
祖父は佐賀藩の勘定方を務め、父は三十五銀行(現在の静岡銀行)の頭取であったというが、氏名などは不明である。
父は三十銀行の頭取兼支配人、中溝秀周である。
画家志望であったが、立教大学商科に進学、同学を卒業し、日本蓄音器商会(現在の日本コロムビア)広告宣伝部に入社する。
同社で同部長に昇進したが、日活宣伝部員の友人の誘いを受けて退社、満26歳である1929年(昭和4年)初頭に日活太秦撮影所現代劇技芸部に入社、同年2月8日に公開された『栄冠』で映画界にデビューとされるが、前年の1928年(昭和3年)9月27日に公開された池田富保監督による大作『維新の京洛 竜の巻 虎の巻』に、島津久光役で出演しており「美濃部 進」の名ですでにクレジットされている。
同社では、おもに現代劇に出演、1929年7月6日に公開された徳永フランク監督の『赤い灯青い灯』で主演に抜擢される。
1931年(昭和6年)、宝塚少女歌劇団出身の女優、澤蘭子と恋愛および失踪事件を起こし、同年10月1日に公開された池田富保監督の『殉教血史 日本二十六聖人』に出演したのを最後に、2人とも退社を ……

岡譲司が亡くなってから、53年と340日が経過しました。(19698日)

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