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久松静児 氏(ひさまつせいじ)

映画監督[日本]

1990年 12月28日 死去享年79歳

久松静児 - ウィキペディアより引用

久松 静児(ひさまつ せいじ、1912年〈明治45年〉2月20日 - 1990年〈平成2年〉12月28日は、日本の映画監督。
茨城県出身。
本名、久松重男。
経歴= 旧制常総学院中学卒業後、河合映画製作社に入社、新興キネマに移籍し、1934年(昭和9年)「暁の合唱」で監督に昇進する。
新興東京時代の作品に参加したスタッフに当時美術だった新藤兼人、後に長くコンビを組むことになる音楽の斎藤一郎がいる。
戦時~戦後にかけて 大映で活躍し、「安宅家の人々」で自己のスタイルを確立。
のちフリーとなり、新東宝「女の暦」は日本公開の翌年にカンヌ国際映画祭で上映され、後にヨーロッパでロードショー公開された。
その後、森繁久彌主演の「警察日記」が大ヒット作となり、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺が主演の喜劇映画「駅前シリーズ」では2〜6作目を担当するなど、東京映画(東宝系)で手堅い作品を残す。
「女の暦」「月夜の傘」「早乙女家の娘たち」など田中絹代、香川京子と組んだ、家族、女性映画の秀作も多い。
1956年(昭和31年)、芸能選奨受賞。
主な監督作品= 『女囚と共に』(1959年) 『愛妻記』(1959年)のスタッフ、キャスト。
前列左から4番目は原作(『芳兵衛物語』)を書いた尾崎一雄。
暁の合唱(1934年) 新興 若い女の危機(1938年) 新興東京/音楽:斎藤一郎、美術:新藤兼人 女囚36号(1947年) 大映東京/出演:入江たか子、若原雅夫、浦辺粂子 三面鏡の恐怖(1948年 ……

久松静児さんが亡くなってから、33年と329日が経ちました。(12382日)

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