芸能人・経営者のおくやみ情報

三島雅夫(みしままさお)

俳優[日本]

1973年 7月18日 死去享年68歳

三島雅夫 - ウィキペディアより引用

三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日 - 1973年〈昭和48年〉7月18日)は、日本の俳優。
本名・長岡 正雄(ながおか まさお)。
略歴= 東京都で生まれ、新潟県三島郡与板町(現・長岡市)に育つ。
本名は長岡 正雄(ながおか まさお)。
与板藩士であった父・茂雄と母・マツの間に6人兄弟(男4人・女2人)の長子、長男として生まれた。
1924年(大正13年)に獨協中学校(旧制中学校)を卒業し、茂雄がのめりこんでいた影響で演劇(新劇)の世界に足を踏み入れる(茂雄も演者として舞台に立っていたようである)。
同年に『ヴェニスの商人』で初舞台を踏んだ。
茂雄の演劇への入れ込みようは激しく、その為に身代が傾きかけ、息子(三島の弟)を奉公に出す羽目に陥ったほどである。
逆に言えば、その傾倒ぶりが後の三島の演技に大きく作用したとも言える。
また三島は小山内薫とも親交があったと言われる。
1928年(昭和3年)、小山内の築地小劇場に加わるが、翌年の1929年(昭和4年)に小山内が急死。
指導者の居なくなった小劇場では内紛がおき、それに三島も巻き込まれていった。
同年、三島は小劇場から分裂した新築地劇団に入団した。
1930年(昭和5年)、法政大学独文科を中退。
法政では関口存男の薫陶を受ける。
1934年(昭和9年)には新協劇団の創設に参加、『夜明け前』や『火山灰地』の舞台で頭角を現していった。
しかし、左翼志向の強い劇団で芝居を ……

三島雅夫が亡くなってから、51年と126日が経過しました。(18754日)

推定関連画像