徳川斉昭(とくがわなりあき)
常陸水戸藩主[日本]
(万延元年8月15日没)
1860年 9月29日 死去享年61歳
徳川 斉昭(とくがわ なりあき)は、江戸時代後期の大名(親藩)。
御三家のひとつ、常陸国水戸藩の第9代藩主。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父である。
略歴=
本項ではすべて「斉昭」で統一する。
寛政12年(1800年)3月11日、徳川治紀の三男として生まれる。
生母は権中納言外山光実の養女(町資補の娘)・補子。
初めは父・治紀より偏諱を受けて松平紀教(まつだいら としのり/のりたか)、藩主就任後は将軍・徳川家斉より偏諱を受けて徳川斉昭と名乗った。
藩政改革に成功した幕末期の名君の一人である。
しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。
系図上の先祖である徳川光圀と共に、茨城県の常磐神社に祭神として祀られている。
生涯=
家督相続=
藩主治紀の子たちの侍読を任されていた会沢正志斎のもとで水戸学を学んだ。
治紀には成長した男子が4人あった。
長兄・斉脩は次代藩主であり、次兄・松平頼恕は文化12年(1815年)に高松藩松平家、弟・松平頼筠は文化4年(1807年)に宍戸藩松平家に早くに養嗣子の縁組が決まっていた。
しかし三男の斉昭は30歳まで部屋住みで側室も持たせており、斉脩の控えとして残されたと思われる。
なお、父の生前に「他家に養子に入る機会があっても、譜代大名の養子に入ってはいけない。
譜代大名となれば、朝廷と幕府が敵対したとき、幕府について朝廷に弓をひかねばならないこ ……
徳川斉昭が亡くなってから、164年と52日が経過しました。(59953日)