井伊直弼(いいなおすけ)
彦根藩主、江戸幕府大老[日本]
(安政7年3月3日没)
1860年 3月24日 死去暗殺享年46歳
井伊 直弼(いい なおすけ)は、江戸時代後期から幕末の譜代大名。
近江彦根藩の第16代藩主。
幕末期の江戸幕府にて大老を務め、開国派として日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した。
また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。
幼名は鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)。
諱は直弼(なおすけ)。
雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、緑舎(みどりのや)、宗観(そうかん)、無根水(むねみ、異体字:无根水)がある。
大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。
生涯=
家督相続まで=
生誕地(彦根城二の丸槻御殿)
文化12年(1815年)10月29日、第14代藩主・井伊直中の十四男として近江国犬上郡(現在の滋賀県彦根市金亀町)の彦根城二の丸の槻御殿で生まれる。
母は側室の君田富(お富の方)。
父の隠居後に生まれた庶子であった。
父の死後、三の丸尾末町の屋敷に移り、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた邸宅で17歳から32歳までの15年間を300俵の部屋住みとして過ごした。
この間、近江市場村の医師である三浦北庵の紹介で、長野義言と師弟関係を結んで国学を学んだ。
また、熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。
そ ……
井伊直弼が亡くなってから、164年と241日が経過しました。(60142日)