安島帯刀(あじまたてわき)
水戸藩士・家老[日本]
(諱・信立、安政6年8月27日歿)
1859年 9月23日 死去切腹享年49歳
安島 帯刀(あじま たてわき)は、幕末に活躍した水戸藩の家老。
安政の大獄で切腹を命じられた。
維新後、靖国神社・護国神社・回天神社に合祀された。
諱は信立(のぶたつ)。
父は戸田三右衛門忠之、母は安島七郎左衛門信可の女。
養父は安島彦之允信順。
事績=
幕末の西欧列強の日本接近の危機に備えるため、幕府内の海防掛に徳川斉昭や兄・戸田忠太夫、藤田東湖らとともに参与、また水戸藩において日本初の軍艦・旭日丸の建造に参与するなどして日本の海防に功績を残した。
13代将軍・徳川家定死後の継嗣問題に一橋派として暗躍し、幕府守旧派の井伊直弼らに警戒される。
黒船来航以降、外国からの脅威に危機感を抱いた朝廷が尊皇攘夷の実行を幕府に促すよう説得すべしという勅諚を水戸藩に下されるという前代未聞の事件が発生し、朝廷が幕府を介さず一大名家への直々に命令が下されたことで幕府の威信を傷つける事件となった。
一連の事件を戊午の密勅という。
帯刀はこの勅諚の降下に関与し、さらに幕府の最高責任者であった井伊直弼暗殺に関与の疑いがかかったことで幕府の評定所より出頭命令が下され、幕府に捕らわれる。
その後、幕府が尊皇派への弾圧を断行した安政の大獄によって切腹を命ぜられる。
歌や漢詩にも造詣が深く斉昭の腹心として名家老としての評価を得る。
帯刀をはじめ大獄で亡くなった志士達の死はその後の幕末の歴史に大きな変革をもた ……
安島帯刀が亡くなってから、165年と59日が経過しました。(60325日)