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戸田銀次郎(とだぎんじろう)

水戸藩士・家老[日本]

(慶應元年7月5日没)

1865年 8月25日 死去享年37歳

戸田 銀次郎(とだ ぎんじろう)は、幕末期の水戸藩家老。
父は水戸藩家老・戸田忠太夫。
銀次郎は戸田氏24世にあたる。
系譜= 戸田氏は三河譜代の名門の家系であり、銀次郎は戸田氏の支流で水戸藩に仕えた戸田有信の後裔にして水戸藩の世臣であった戸田忠敞の嫡男として生まれる。
本家は松本藩主たる戸田(松平)家。
江戸初期に活躍した初代松本藩主松平康長の叔父・戸田甚三郎重政の孫・戸田三衛門有信に至って水戸藩に仕官し水戸藩士戸田氏の初代となる。
歴代の知行は代々1300石。
家紋は六曜。
叔父は母方の佐竹家旧臣安島家に養子入りした安島帯刀。
従兄弟には里見四郎左衛門親賢がいる。
生涯= 弘化年間、父忠敞が斉昭宥免運動に加担した咎で、隠居を命ぜられると小普請組となる。
嘉永5年(1852年)、大番組、嘉永6年(1853年)には使番に転任し、江戸詰となる。
安政2年(1855年)におきた安政の大地震の発生により父が圧死すると、同年12月に家督を相続し、目付に昇進した。
安政5年(1858年)7月、格式用人上座江戸御側用人となり、同年9月には水戸詰に転任し、翌年には学校掛となる。
万延元年(1860年)閏3月、大番頭上座用達、同年10月には格式大寄合頭上座に上る。
文久元年(1861年)、『大日本史』編輯懸。
その後、藩主・徳川慶篤に随い江戸-水戸間を往復する。
同3年(1863年)2月に藩主慶篤上洛に随行し、主君の側にあって側近としての重きをなした ……

戸田銀次郎が亡くなってから、159年と43日が経過しました。(58118日)

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